
1. Life Logline:人生のログライン
オハイオの油田泥にまみれた少年は、やがて銀幕の「王(キング)」として戴冠した。 だが、その栄光の玉座は、愛する女の命を奪った飛行機事故の残骸の上に築かれていた。 世界中が彼に恋焦がれたが、彼自身はただ、失われた半身を求めて空を見上げ続けた。
2. Scenario Chart:人生のシナリオ
Act 1 [発端]:猿と呼ばれた男
1901年、オハイオ州。石油採掘師の息子として生まれたウィリアム・クラーク・ゲーブルの人生は、原油と泥の匂いから始まった。生後10ヶ月で母を亡くし、継母の農場で荒くれた労働に従事する日々。十代で演劇の魔力に取り憑かれるが、現実は冷酷だった。
当時のハリウッドが求める美男の基準から、彼はあまりにもかけ離れていたのだ。「耳が大きすぎる。まるで猿だ」。ワーナー・ブラザースの幹部ダリル・F・ザナックはそう吐き捨てたという。 だが、演劇コーチであり、彼より一回り以上年上の最初の妻となるジョセフィン・ディロンだけは、彼の内にある「獣性」と「気品」の矛盾する輝きを見抜いていた。彼女はゲーブルのガタガタだった歯をすべて抜き、総入れ歯にさせ、洗練された発声を叩き込んだ。激痛を伴う肉体改造を経て、野暮ったい田舎の青年は、危険な香りを纏う伊達男へと脱皮する。
Act 2 [葛藤]:王冠の重みと、最愛の伴侶
MGMに移籍した彼は、すぐに頭角を現す。だが、最大の転機は「懲罰」として貸し出されたコロンビア映画での低予算コメディだった。『或る夜の出来事』(1934)。この作品で彼はアカデミー主演男優賞を受賞し、劇中で彼が上半身裸になった瞬間、全米のアンダーシャツの売上が激減したという都市伝説さえ生まれた。
1938年、彼は正式に「ハリウッドのキング」という称号を得る。新聞社のコンテストで選ばれたその称号は、彼を名実ともに映画界の頂点へと押し上げた。 そして私生活では、女優キャロル・ロンバードと運命の恋に落ちる。彼女は、彼の尊大なパブリックイメージを笑い飛ばし、一緒に泥遊びができるような「最高の相棒(パ)」だった。二人は互いを「マ(Ma)」と「パ(Pa)」と呼び合い、牧場で静かな時間を過ごすことを何よりの幸福とした。ゲーブルの人生において、真の安らぎが存在した唯一の季節だ。
Plot Twist [転換点]:消えた「パ」の魂
1942年1月16日。運命は残酷な脚本を用意していた。 戦時国債キャンペーンツアーの帰り、ロンバードが乗った飛行機がラスベガス近郊の山に墜落したのだ。 ゲーブルは絶望的な捜索隊に加わり、険しい雪山を登った。そこで彼が見つけたのは、黒焦げになった機体の残骸と、彼女が身につけていたルビーのブローチの破片だけだった。 山を下りた時、彼の髪は白くなり、魂は死んでいた。
「俺も死ぬべき場所へ行く」。 41歳にして、彼は陸軍航空隊への入隊を志願する。広報活動ではなく、実戦任務を希望した。B-17爆撃機の機銃手として、ドイツ上空の弾幕の中へ飛び込んでいく彼の姿は、自殺志願者のようだったと言われる。ヒトラーが「ゲーブルを生け捕りにしろ」と懸賞金をかけた空で、彼はただ、ロンバードのいる空へ近づこうとしていたのかもしれません。
Act 3 [結末]:荒野の彷徨
戦争を生き延びたゲーブルはハリウッドに帰還したが、かつての「キング」の瞳にあった野心的な輝きは消えていた。彼は老い、酒量が増え、どこか虚ろだった。 最後の作品となった『荒馬と女』(1961)。脚本を書いたアーサー・ミラーは、ゲーブル演じる老カウボーイに、時代に取り残された男の哀愁を託した。ネバダの灼熱の砂漠で、野生馬をロープでねじ伏せる過酷なスタントを、彼は代役なしで演じきった。 「これが俺の最高傑作になる」。そう撮影終了時に語った数日後、心臓発作が彼を襲う。
1960年11月16日、享年59。彼はついに、最愛の「マ」キャロル・ロンバードの隣で眠りについた。その4ヶ月後、彼が生涯待ち望んでいた初めての実の息子が、この世に生を受けることを知らずに。
3. Light & Shadow:光と影
On Screen [銀幕の顔]
「自信と包容力の塊」 太い眉、整えられた口髭、そしてニヒルな笑み。スクリーンの中のゲーブルは、どんな困難もジョークと共にねじ伏せる、頼れる男の象徴だった。女性を強引に抱き寄せても許されるのは、その裏にある圧倒的な包容力が滲み出ていたからだ。彼は「男が憧れる男」であり、その声は常に低く、力強く響いた。
Off Screen [素顔]
「潔癖とコンプレックス」 豪快なイメージとは裏腹に、ゲーブルは極度の潔癖症だった。一日に何度もシャワーを浴び、衣服の清潔さに執着した。 その根源には、若くしてすべての歯を失い、総入れ歯であったことへの強烈なコンプレックスがある。彼は口臭を極度に気にしていた。『風と共に去りぬ』のキスシーンで、ヴィヴィアン・リーが「彼の入れ歯の臭いが気になった」とこぼしたという噂は有名だが、それは彼自身が最も恐れていた「メッキが剥がれること」への恐怖の裏返しでもあった。彼は常に、自分が「ペテン師」として見破られることを恐れる、繊細な少年を内包していたのだ。
4. Documentary Guide:必修3作
①『或る夜の出来事』 (1934)
失意の底から生まれた、ロマンティック・コメディの金字塔。 MGMから「お仕置き」として貸し出された作品だが、結果としてゲーブルのコメディセンスを開花させた。富豪の娘と新聞記者のロードムービー。彼の演じるピーターは、荒っぽいけれど根は優しい、ゲーブルのパブリックイメージの原点だ。ヒッチハイクのシーンで見せる軽妙な演技は、後のキャリアの基礎となった。
②『風と共に去りぬ』 (1939)
彼が演じることを拒み続けた、生涯の代表作。 レット・バトラー役は、原作ファンによる国民投票で圧倒的にゲーブルが支持されたが、彼自身は「古典的な衣装劇など似合わない」と固辞していた。だが、スクリーンに現れた彼は、レット・バトラーそのものだった。自信満々に見える演技の裏で、極度のプレッシャーと戦っていた時期の、脂の乗り切った彼の姿を目撃できる。
③『荒馬と女』 (1961)
遺作にして、自身の人生への鎮魂歌。 マリリン・モンロー、モンゴメリー・クリフトという「壊れかけた」スターたちと共に、砂漠で撮影された異色作。老いていくカウボーイの姿は、時代の変化に居場所を失ったゲーブル自身の姿と重なる。モンローの遅刻や奇行に耐えながら、優しく彼女を諭すゲーブルの表情は、演技を超えた人間としての深みに満ちている。
5. Iconic Moment:歴史に刻まれた瞬間
“Frankly, my dear, I don’t give a damn.” (正直に言おう、親愛なる君。俺には関係ないことだ/知ったことか) ——『風と共に去りぬ』(1939)より
映画史上、最も有名な捨て台詞。 愛を乞うスカーレットに対し、レット・バトラーが冷たく言い放ち、霧の中へ去っていくラストシーンだ。 当時、映画製作倫理規定(ヘイズ・コード)では “damn” という言葉の使用は厳しく禁じられていた。プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックは、この一言のために巨額の罰金を覚悟したという。 ゲーブルがこのセリフを放った瞬間、それは単なる男女の別れではなく、古い道徳観への決別、そして「男の美学」の完成を意味した。彼の背中が語る「拒絶」の美しさは、今なお誰も超えることができない。
6. Re-Cast:現代の継承者
【ブラッドリー・クーパー】
もし今、クラーク・ゲーブルの輝きと、その後に訪れた深淵なる闇の両方を演じきれる男がいるとすれば、ブラッドリー・クーパーこそがその筆頭だ。
初期のゲーブルが持っていた、どこか胡散臭くも憎めない「プレイボーイ」としての魅力。それは映画『ハングオーバー』シリーズや『アメリカン・ハッスル』で見せたクーパーの、軽薄さと知性が同居する演技に通じる。 しかし、彼を「継承者」として推す最大の理由は、監督・主演作『アリー/ スター誕生』で見せた、破滅的な男の色気にある。
あの映画で彼が演じたジャクソン・メインは、酒と聴力障害に苦しみながらも、愛する女をステージへ送り出す男だった。その姿は、最愛の妻キャロル・ロンバードを失い、自身もまた難聴(※ゲーブルは実際に軍務で聴力を一部失っている)や老いと戦いながら、マリリン・モンローを支え続けた『荒馬と女』のゲーブルそのものである。
青い瞳の奥に、自信と脆弱さを同時に宿すことができる稀有な俳優。 彼ならば、世界中が憧れた「キング」の仮面を被りつつ、その内側でひとり震えていた「小さな少年」の魂を、繊細にすくい上げてくれるに違いない。